*対談(mi:media掲載)

 [欠けてる円をまあるくしたい](クミコ×ミメイ)

表現者としての原点

 

■ミメオではそろそろ始めましょうか。
●クミコどうしたの。あらたまっちゃって。
■ミメオ一応、司会者ですので。
●クミコあ、そうか。
◎ミメイ (笑)。

■司会えー、まず、テーマがあります。
大きなテーマは「表現するということ」です。自分がどんなふうに表現したいのか、自分のした表現が観客あるいは読者にどんなふうに受け取られているのか、その受け取られ方は自分の思っているものと同じなのか違うのか。
それから、歌なり小説なりで描かれる内容のなかには、日常と非日常が入り混じっていますよね。それでも受け手が自分のことのように感じるということは何なのか。そもそもふたりとも、ふだんの性格というか人間そのものが非日常的なところもあるし、そういうのをからめて話してもらえますか。

●クミコそんな最初にいっぱい言われると忘れちゃう(笑)。

■司会いやいや、最初に説明しておくから後は自由にしゃべってもらおうと思って。
◎ミメイ司会の人、楽しようとしてるでしょ(笑)。
■司会じゃあ、どういうふうに話が進んでもかまいません。勝手にしゃべっていいです。僕が強引に割って入って引き戻しますから(笑)。
●クミコで、どこから話したらいいの。
■司会そうだねえ(笑)。クミコさんは歌手として歌いたいテーマというものが、年月が経っても変わらずにあると思うのだけど。テーマに対するこだわりはありますか?
●クミコうーん…。テーマってむずかしいよね。ミメイってどうなの? 何をテーマにしてるの?
◎ミメイすごくおっきなテーマでくくったら、生きることと死ぬことになるんだけど、ひとつずつの作品の中で「生」と「死」の間のどこの部分を書くのかそれぞれ違うからね。
●クミコそうよね、結局そういうことだよね。
◎ミメイわたしって、小さい頃に親しい人を次々になくしてるんだよね。でも、その頃は「死」っていうものがすごく怖かったから、「無かったこと」にしようと思っちゃったの。だけど、大人になったら反動のようにそのことを考えるようになって、書いていると、どうしてもそれがでてくる。
■司会クミコさんは、小さい頃に誰かの死に直面するようなことはありましたか?
●クミコ誰かの死に直面するっていうよりは、自分自身が小さいときに手術するとか、何ヶ月か入院するとかいうことがあって、小学校の入学式も出てないのね。子どもの頃ってみんなで一緒に何かするっていうことが多いから、自分の身体に傷ができたりすると走ったり遊んだりもできないし、いろんなことが人と一緒にできないのよ。一緒にうまくやれないと結局ドロップアウトしちゃう。自分がなんかちょっとはぐれてるっていう意識の原点はその頃にあるかもしれないね。
◎ミメイうーん。なるほど。はぐれるって良い言葉だよね。
■司会自分がなんかちょっとはぐれてるっていう意識は、やっぱり表現者としても影響していますか?
●クミコ表現者って、群れる人はなれないと思うんだ。つまり孤独だから、ある種はぐれているから、そこで「どうしてこうなるんだろう?」って考えざるを得ない。ミメイもたぶんそうだと思うんだけど。
◎ミメイ自分のなかで考えなきゃいけなくなるからね。
●クミコそうそう、そういう時間が多くなっちゃう。それが表現者にとって不可欠な条件の一つなんじゃないかと思う。みんなでワイワイやることが楽しい人は表現者にならないんじゃないかな。
◎ミメイそうね、なる必要がないのかも。
●クミコうん、違うところで満たされていると表現する必要はないよね。要するに、人って誰も満たされたいんだと思うの。円のどこかが欠けていることがわかると、そこをなんとかしようとするんだと思う。それがミメイの場合は小説で丸くしたいんだろうし、私は歌で丸くしたい。
◎ミメイうんうん、そう。埋めて丸くしたい。
●クミコ欠けている円を丸くしたいと思うのは、人間の本来持っている「欲求」の一つだったんじゃないかな。


ステージトーク

■司会今ね、クミコさんは話すことによって自分の考えを述べているわけですよね? 自分を伝える手段として、歌うことと話すことを比べて歌うほうが楽に伝えることができるとか、そういう違いはありますか?
●クミコ楽とか楽じゃないとかいう次元のことではないと思う。でもまぁ、昔は話すのが苦手だったけどね。
■司会歳の功でだんだんできるようになってきた?
●クミコうーん、慣れっていうのもあるんだけど。このごろは、しゃべることはサービスだと思うのよ。第一志望としては、しゃべらないでいられるならしゃべらないでいたいけれども。
◎ミメイ言ってたよね、なんにもしゃべらないで歌うだけのコンサートをしてみたいって。
●クミコうん、でも、それはかなり認知されないとできないし聴く相手にかなりのプレッシャーを与えるしね。作家はしゃべらなくてもいい人はたくさんいるじゃない? でも私の場合は人前に出て行かなくちゃいけないから、しゃべらないことにはどうにもならない。
□編集それはネットで書くミメイさんも、同じ部分があるのではないでしょうか? 作品だけを発表するのではなく、日記や日常を綴ったエッセイを書いたりもされてますし。
●クミコ人間がちょっと見えてくるよね。
◎ミメイ口でしゃべるのではなく、書いてしゃべる、というのは苦じゃないから。それがサービスになるのならいくらでも(笑)
■司会僕は、話すことによるコミュニケーションがうまくできないから、書いたり歌ったりすることでコミュニケートしたいという欲求があるのかな、と思ったりするのだけど。
●クミコ私はそれはないなぁ。
◎ミメイうん、そういうんじゃないな。表現したい欲求っていうのは、コミュニケートしたい欲求とはちがうと思う。
●クミコミメイのネットで書くっていう作業と、私が取材とかで人と会ってしゃべることや、ステージトークは同じようなところがあるのかもしれないな。
昔はそういうのは邪道じゃないかと思うこともあったのだけど、歳を取るにしたがって、受け手に親切であることに越したことはないと思うようになった。あと、人はしゃべらなきゃわからないということもあって。
◎ミメイそうね。言わないけど分るでしょ、っていうのはやっぱり無理。
●クミコ阿吽の呼吸ではわからないのよ。聴いてほしいのは歌だけなんだから、しゃべらないで歌だけを歌って、後は向こう側のあなたにお任せっていうのもやってみたんだけど、こちらが思うほど受け手には伝わらないっていうことがわかったの。そんなふうに人に想像力をゆだねるっていうことは、かえって卑怯かもしれない。親切であるべきところは、かなり親切にしていいと思う。
◎ミメイうん、そうだよね。伝わらなくちゃ、何にもならないしね。
●クミコきちんとサービスをしつつ本領の部分をやるっていうことのほうが実際には難しくて、歌だけやってるほうが楽なのよ。相手がわかんなかったら「わかんなかったそっちが悪い」って言えちゃうしね(笑)。
◎ミメイあはは。でもそれじゃ、表現者でいる意味ないよね。それは作品についても同じことで、この部分は書かないけど分るでしょ、っていうのはやっぱりダメなんだと思う。親切であるにこしたことはないのよね。


ことばの向う側に

■司会じゃあ、その本領の歌を唄ってるとき、クミコさんはどんなことを思ってますか?
●クミコ歌詞を忘れないように、なんて。ウソ(笑)
◎ミメイホントでしょ(笑)
●クミコうん。ちょっとホント(笑)
■司会ライブとかでクミコさんの歌を聴いた人は、よく「映像が見える」って言いますよね。
◎ミメイそうそう、幻灯みたいに浮かんでくるの。前にクミちゃんが「これ面白いよ」って薦めてくれたじゃない、「緋色の記憶」。(*トマス・H・クック著)
●クミコうん。なんだか「絵」みたいな小説だったよね。それでいてリアルなの。足の悪いオトコが、妙に色っぽくて。
◎ミメイそう、映像が見えるの。私はあの小説がすごく好きで、本の中に引きずり込まれるような感覚で読んだんだけど。クミちゃんの歌にも、同じような感覚があるのよね。引きずり込まれるような感じが。
■司会唄ってるクミコさん自身は、どうですか? その歌の世界に入りこんで唄ってるのか、それとも伝えることに徹しているのか。
●クミコうーん。渡したいと思ってる。「希望」とか「切なさ」とか「怒り」とか、そういう「感情」をね。コトバの向う側に、色々な感情が見えるように、それをきちんと聴き手に届けたいな、と。つまり「ストーリー」を届けるんじゃなくて、「感情」を届けたいっていうことかな。

(このお話のつづきは「ミ・メディア」にてどうぞ)